とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

姪っ子も一緒に

13日夜、実家のほうが、どうも雨が酷いようだと
ニュースで知り、両親がどうしているか心配で電話をした。
「あー、大丈夫大丈夫。心配せんでよかバイ」
と、母が笑って言った。
14日、仕事から帰ってテレビをつけると、
避難勧告が出た場所に、実家のある町の名前が…
なぬ?まさか…


私の実家は、川沿いで、庭の向こうは川。
というか、庭の一部が川みたいなもんで、
大根やら、サトイモやら、掘ったら川の洗い場で洗うというような、
身近な生活の場所であった。


電話をしたら、母がすぐに出た。
「まぁ、あんたに大丈夫っていうたけど、あれからよう降って、
ダムが決壊するかもしれんけん、公民館に避難しなさいって言いに来た。
〇〇ちゃん(私の姪っ子)も来とったけん、一緒に避難したバイ
ダムが決壊したら、公民館も流れっしまうやろ、ち思たばってん」
と、笑って言う。夕方には自宅に戻ったらしい。


小学校の6年の時だったか、やはり大雨で、
早くに集団下校させられ、妹と手をつないで帰る途中、
いつもは見えるはずのない川の流れが、遠くから
うねっているのが田んぼの向こうに見えて、
足がすくんだ記憶がある。
あの時は、4歳下の妹を連れて帰らねば!という
お姉ちゃん魂が少し残っていたので、
自宅まで帰り着けたが、一人だったらもう、動けなかったかもしれない。
妹と二人で帰り着いたものの、中学に通っていた姉が帰ってこない。
帰ってくるまでにも川があって、
橋がいつまで通れるか…と母が心配していた。
姉は、夕方近くになって帰ってきた。
ここは通れん、ここは通れんと、まわりまわって帰ってきたようだった。


川は石垣の下に流れているはずなのに、それを越して、
庭に水があがってきた。
我が家は土を盛って少し高い場所に建っていたが、
隣接して建っていた祖父母の昔ながらの住まいは、
庭の延長であったので、床下浸水。
床下に置いていた、祖母の鍬やら、土間の漬物つぼなんかが、
泥水だらけになっていたっけ。


その頃、祖父母の住まいの向こうに、小さな小屋があって、
そこに、子猫が住み着いていた。
このままではあの猫は流れていくだろうということになって、
猫を救出。雨のおかげで、猫は我が家のペットになった。
川の流れに乗って、上流の、材木屋さんからか
どこかからか、大きな杉の丸太が庭に流れ込んできた。
水が引いてからも、その丸太は庭にあって、
しょっちゅう猫が爪とぎに使っていた。
あの時の猫は、ミヤ(美弥)ちゃんと名前が付けられたっけ。


あの時の大雨のあと、石垣の上に、コンクリートで50センチほど
高く堤防が作られた。
洗い場に行くところはあいていて、水があがりそうになると、
そこに鉄板をはめ込むようになっている。
それがはめ込まれた所を、私は見たことがないのだが、
今回ばかりは早めに父が、はめていたようだ。
庭の一角には、間もなく妹一家の家が建つように、
整地がなされていて、今日は地鎮祭の予定だったようだが、
この雨で、どうなったのか…?


この雨で、
大雨の時の子どもの頃の体験が、いろいろ思い出されたが、
こんなに酷くはなかったし、怖いと思ったのは、
妹と手をつないで、大波を見たあの時くらいだった。
今回の大雨は本当に、
今までにないほど激しい大雨だったのだろう。
ニュースでは、地球温暖化が原因でと言っている番組があったが、
もし、そうであるなら、人間が引き起こしたと考えるべきだな。
雨は好きだが、こんな大雨はお断りである。
梅雨明けは惜しいが、明日は海の日でもあるし、
カーッ!と、晴れてほしいものである。