とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

人間であることに嫌気がさしているなら

9月4日から5日にかけ、『沈黙』を読んだ。

今日は、友人二人と久しぶりに会い(10か月ぶりか?!)、
食事をしながら4時間ほど話した。
そんな中で、思春期である我が子への想いが飛び交い、
息子との付き合いの難しさを痛感。
そして、難しく、悩んでいるけれども、
我が子がいたからこそ出会えたことを考えると、
息子たちに感謝である。

友人たちと別れて、夕方図書館へ行く。
借りる本は決めていたので。
そして、夜読み始めたのが、『沈黙』

初めて読んだわけではないのだが、
やっぱりガツンとパンチをくらう。
そして、この本に、高校生くらいの時に出会っていたら、
人生変わっていたかもしれないと思ったり、
高校生の時に出会っていても、
この本にピンときたりはなかったかもと思ったり。

この本は、集団読書用の薄い冊子で、
200円出してもお釣りがくるようなもので、
恐らく、高校生の読書感想文の課題だったりするのだろう。

≪大沢さんを無視し続けたクラスメイトの中に、自分の顔が見える。
大沢さんに責められるべき人間の中の一人。
薄っぺらな人生を歩んでいる一人。
気がつけば、私は大沢さんの前に跪き、声にもならぬ声をあげて許しを請うていた。
そんな私に大沢さんはほほ笑むのだ。
それは、許されたのか、それとも見放されたのか判別しようのない恐怖の笑み。
そして気づけば、微笑んでいるのは大沢さんではなく、私だった。≫

初めて読んだとき、こんな文章を残していた。
みんながみんな、大沢さんのような人間でありたいとは思わないだろう。
生きていくには青木のような要領の良さを必要とする場合もある。
こういう人間模様はよくあることなのかもしれないが、
そういうところに、人間社会の生きにくさとか醜さとかを
感じて、人間でいることに嫌気がさす人もいるだろう。
自分も、時折、なんで人間なんかに…と思うこともある。
しかし、そういう時、この短編のことを思いだす。
生きにくさを感じているのは、自分だけではないと。
要領よく生きていくことだけが、成功ではないと思っている。
正義に、正解はないのだろう。

他人とうまい距離をとれず、悩んでいる人にとって、
この本は救いの一冊であると思う。
受け止められなくても、
ピンと来なくってもいいから、
中高生あたりの若い人に読んで欲しい一冊だ。
そういう生き方もまた、ありなんだって、知って欲しい。

図書館から借りてきた一冊だけれど、
ネットで購入できることが分かり、ついついポチってしまった。