とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

乱読にもならない

昔、一冊を結構パパパーッと読んでいた。
しかし最近は、じっくり読むよう努めている。
おはなしの筋だけを追うような読み方は、
やめようと思っている。

最近の若い子が好きな、ライトノベルを否定するわけではない。
しかし、今の小説は、会話が多すぎないか?と思う。
一般向けの小説を、あまり読んでもいないので、
全体的にそうだとは言えないけれども。
少なくとも、最近出たYA分野とか、地の文が少なくって、
情景描写なんていうのが、弱い感じがする。

『ハイジ』を読んだ時に、干し草のベッド、
牧場の匂いなんていうのが、勝手に自分のまわりに漂う
(ような気がするだけなのだけれども感じるのだもの)
とか…。
『王への手紙』を読んでいると、靄とか朝露とか、
小川のせせらぎとか、馬のひずめの音とかぬくもりとか…
そういうものを感じながら、ティウリと一緒に旅をする
(旅をしている気になっているだけなのだけど)
とか…。
本を読んだ後、読み疲れするのはあることだが、
『王への手紙』を読み終えた時の、あの、清々しさ。
旅疲れにも似た放心状態。
あの夏の日が、忘れられない。

人の会話ばかりを読みながら、感情移入は難しい。
自分のしない、言い回しや言葉遣いに戸惑う。
しかし、人の口から出てくる言葉以外の文章が、
ぐいぐい引きつけることってあるもんだ。
昔からある児童文学は(ジャンル分けはどうでもいいと思っているけれども)
特にそういう作品が多いように思う。

今は、作られた会話が、凄く多い。多すぎる。
それは、テレビのせいだろうと思っている。
人を驚かせるのに、特別仰々しく喋らなくたって、
人を引き付けるのになぁと思う。
本だって、同じではないか?

ゆったりした時間を取り戻したくて、
児童文学に手を伸ばすとき、
子どもの時に、なぜ出合えなかったのだろうという寂しさと、
今だから、こんな幸せな出合い方ができたのかもしれないという嬉しさを感じる。
一期一会という言葉は、対人だけではない。
本との出合い、言葉との出合いも、一期一会。
そう考えたら、乱読なんて、絶対できないなと思う。
だから最近は、ゆっくりゆっくり読むのだ。