とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

はぁ…ため息がもれます

めざめれば魔女
121023−25
読んだぁ…なんか真面目に読んだぁ。
私が借りたのは、初版本であったので、
表紙にローラの顔と、石のコインの絵が描かれていて、
ただこれだけでも、かなりのインパクト。

ローラの心の成長、蛹から蝶へ
と言った話であることは、知ってはいたし、
頭をちょっと読んで読み進められず、
数年前、挫折した本。
現代を生きている女の子が、
魔法の力を感じはじめていて、
幼い弟を襲った魔力から救うために、
自ら魔女への変身を遂げ、戦うという話。

あまりに簡単なあらすじだが、
まぁ…思春期というのはこういうものなのだろうが、
自分やら、家族やら、恋やら、そりゃもう、
なんだか落ち着かない日々で、
そんな中、ローラの生活は、父がおらず、
決して豊かな生活ではないが、
母や弟とうまくやっていってたはずなのに、
弟がある魔力の標的になってしまったばっかりに、
たった数日のうちに、劇的な変身を遂げなければならない。

その変身を決意するまでの過程でも、
変身への儀式の中でも、
ローラは自分の気持ちのぶれと、しっかり向き合っていて、
なんと健気で強くて、たくましい女の子だと、
そこに溜め息なのである。

7年生の監督生ソレンセン・カーライル(ソリー)に
魔力があることを初見で見破ったというシーンはないのだが、
その出会いから、互いに持つ力を認めていた二人が、
ローラが魔女になることを決心し、魔女になる儀式のうち、
互いに好きだという気持ちは自覚していようと、
甘ったるいシーンがないのがとても効果的な気がする。
また、父と離婚して子ども二人を必死に育てている
母も、大事な時期なのに(だからこそ?)気の合う異性と
出会ってしまったばっかりに、そちらに気持ちがいきがちで、
ローラの存在を放っているわけではないのだが、
ローラとしては、母ケートを頼るわけにはいかない。
戦うのはローラ独り。
思春期のアイデンティティの確立は、自分の中にある
多面的な部分が一つの確固たる存在へと
変化していくもので、恐らくこれは大変孤独なものである。

溜め息が出たのは、ローラがあちらに揺れ、こちらに揺れ
しているが、結構な大人だなぁと感じたことで、
自分が14歳の頃、何に悩んでいたとか、
自分の存在とかを真剣に考えたことがあるか?
と、思わず項垂れなければならなかったのだ。

早く読めばよかったなぁ…と思いつつも、
この本が日本で出版された1989年という年は、
卒論の実験に明け暮れていた年であった。
マーヒーだったり、カニグズバーグだったりは、
今を舞台にした現代の子どもたちの作品が多い。

しかし、現代と魔女か…そのあたりが読み進めるのに
こっちの気持ちがぶれてしまいがちか。
リアリティを感じつつの、ファンタジー。
しかし、思春期の変身を、魔女としての変身に喩える
という表現は、ユニークで、リアルよりも
読者を引き付けるように思う。

ローラって強いなぁ。
私って、もしかしてまだモラトリアムでは?
などと、中年おばばを不安にさせる、
大変溜め息の出る作品であった。

一つ気になっている点。
男性であるソリーを魔女と訳してあるのは、
確か、何か理由があるように、
何かで読んだ気がするのだが、何だっけなぁ…。

思春期のぶれの話を上の子としていたら、
下の子が、
「そうさ!だから、学校に行きたくない日もあるさ!」
とのたまひながら、今日の中間試験に出て行った。
チッ!二日間休んどいて、えらそうに、と思いつつ、
我が子もそういうぶれる時期なんだもんなぁ、
自分がモラトリアムなんて、馬鹿みたいなこと
言っちゃいかんねぇと反省。