とみいよむよむにっき

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関係性を突き詰めてみると

象の消滅』より「眠り」を読んだ。
「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

40頁の短編の中に、書かれた一人の主婦の姿によって、
まあ〜なんといろんな感情を引き出してくれるもんだ。

17日間眠ることが出来ない主婦。
眠ることが出来ないと解り、
眠りを諦め、放棄し、
そのうち、その眠っているはずの時間を
自分だけの時間として満喫する姿。

恐らく、それだけならば、「羨ましい」
で済むのだろうけれど、
そういう、簡単なおはなしではない。

そこに書かれる旦那との関係性や、
息子、姑との関係…
ほんの短い文章なのに、闇を感じる。
深淵を覗き込んでいるうちに、
引きずり込まれそうな感覚がある。
覚醒と眠りと比較される生と死。
一つの家族の在り様が、見る方向によっては、
幸せであったり、不幸せであったり、
歪んでいたりと…なんというか。
誰かと向かい合って築いた関係性というのは、
どれだけそのときは熱心に築きあげたとしても、
ある些細な(大きなかもしれないが)出来事で、
がらりと変わってしまう、脆いものだなぁと感じた。

この、関係性を崩せないものが家族であると思っていたが、
その、家族という単位をもってしても、
必ずしも幸せが幸せのままであることの、
難しさをとても思う。

二十歳の原点』が、自分の心の中に深くある。
人間は独りである、という考え方は、
なんて哀れなものだと思う人もいるかもしれないが、
若い頃から自分はこの「独り」ということは、
真実であり、正義であると思ってきた。
かといって、その「独り」を悲観的には思わない。
「誰か」を求めることは当たり前のことだけれども、
「独り」ということを核にしていれば、
誰かと分かり合えなかったからと言って、
絶望することもないし、
また、相手もまた「独り」なのであるという考え方が出来る。

絆というのは、大切かもしれないけれども、
人間は独りで生まれてきて独りで死んでいく。
それは、しっかりわかっていたいことである。
こういうことを話すと、
だいたい、家族には、「冷たい」と言われるが。

「眠り」の主人公である彼女を、
完全には否定したくないと思う気持ちに出あって、
なんだかほくそ笑んでしまう自分である。
村上春樹氏の短編は、好きだな。