とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

「祈り」について

さだまさし氏の曲「祈り」は、
たしか1983年にリリースされた
アルバム『風のおもかげ』の一番最後の曲だった。
リリースされてもうすぐ30年だろうと思われる。
さだ氏、今年デビュー40周年。
彼は恐らく、40年間、歌うことで祈り続けている。

16,17歳の頃だったなぁ。
この歌がとても好きだった。
アルバムも持っていたように思う。
かたや、アメリカのハードロックを聴きながら、
さだまさし氏の人間臭い歌詞だったり、
とても美しいメロディーラインだったりを
このんで聴いていた。
生まれて初めてのコンサートも、この、
♪風のおもかげが出た後のさだ氏のコンサートであった。

知人にきいた佐藤初女さんの「祈り」についての言葉。
どこかでの発言だか、著書の中の言葉なのだか、
と思い、NETで調べたら、まぁ、出てくる出てくる。
「静の祈り」「動の祈り」
で、検索したら、沢山出てきた。
生きている瞬間瞬間が祈りである。
生活すべてが祈りであると。それが、「動の祈り」

あなたにとって、「祈り」とは?
という、神父さまからの問いに答えた佐藤さんの言葉。

このことを、たぶん「静の祈り」について、
神仏へ手を合わせてその力にすがる行為、
と捉えたからか、「動の祈り」を、
行動に移す、日常の一つ一つの動作の中に、
祈りを込めるという風に捉えていた。

祈りとは、結局、何かを願うことであると考える。
うまくいかない自分の人生や、苦しみ・悲しみ
そういう物から、解放して欲しいという願いであると。

辞書によると、そういった、神仏にすがる祈りと
他人の上に良いことが起こるように心から望む
という祈り、二つの意味を持つことがわかる。
「祈り」を宗教に絡めた行為であると思い込んでいたので、
どこか腑に落ちなかったのだが、
佐藤さんのおっしゃる「動の祈り」は、
実は、神仏とは関係ない奉仕の心なのではないかと
考えた。
奉仕…報酬、見返りを求めない、無私の行いであろう。

このことに知人は感謝という言葉をあてていた。
いま生きていることへの感謝の念ということだろう。
感謝というと、誰々への感謝という、
対象があるような気がする。
ここに生きている自分を、生かしている何かという
つまり、「私は生かされている」ということになるのが、
どうもやっぱり自分の気持ちにはすっきり収まらない。

さだ氏の「祈り」はすんなり心に収まったのに、
どうしてこうも、引っかかる…?

実家の仏壇に手を合わせている時、
何を考えているか…
私はそこで、祖父母と対話している。
ただ、それだけである。
私たちのことを見守っていてね、そういうお願いをする。
まだまだ頑張るね、そう約束をする。

恐らく、私は神仏というものに、縋りたくないのだろう。
祈るという言葉に、神仏の力に縋って…という意味合いが
あることに引っかかり、神仏の力と切り離せないでいる。
祈るという言葉はとても美しい言葉であるが。