とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

内田莉莎子

現代のエンターテイメント小説あたりの記事から、
いきなりこの方の名前をタイトルに持ってきてすんません。

自分の子どもとの生活に、イライラしていた。
自分が一般向けの小説を読む時間も、
家事育児の間をぬって、読まねば…と思うと、余計にイラつく…
などということがあったからかどうかは別にして、
子どもとうまくいっている時間というのは、
子どもに本を読んでいる時間だということに気が付いたのも、
このころだったかもしれない。

だから、10年くらい前から、かなり子ども向けの本を
読み始めた。絵本や、児童書と言われる分野。
そして、それらの面白さに気づく。
自分が子どもの頃にもあったはずの名作を、
どうして子どもの頃読んでいないのか!という憤りを覚えつつ。

そして、子どもたちが中高生になった現在、
子どもたちと私をつなぐ重要なポイントである「本」がある。
また、子ども抜きにしても、自分が心を落ち着かせたり、
逆に心躍らせたりする、その時々に、子どもの本があり、
楽しいおはなしたちがある。

子どもの本に貢献されてきたというと、石井桃子さんが有名だが、
私にとっては、石井桃子さんと同じくらい、
内田莉莎子さんの存在が大きいし、
内田さんの訳されたおはなしたちが、とても好きだ。
ロシアの昔話 太陽の木の枝―ジプシーのむかしばなし (福音館文庫 昔話)  きつねものがたり (世界傑作童話シリーズ)
あげたらきりがない。
絵本でも
おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本) パンのかけらとちいさなあくま―リトアニア民話 (こどものとも傑作集)  てぶくろ―ウクライナ民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)
本当にあげたらきりがない。

美しい日本語とは、どういうものなのだろう?と、時々思う。
言葉も移り変わっていくものだと、それはわかるけれど、
日本語の変化についていけないと悩みながら、
変えてはいけないものもあるだろう、
古臭いと、切り捨てていいものではないだろうと思うとき、
声に出してこれらの本を読むと、心が落ち着く。
この、リズムが心地よいのだよなぁ。
最近のせかせかした時勢に合わせた言葉では、
自分の頭の回転ではついていけないし、
追い立てられているようで、息が苦しいのである。

内田莉莎子…このお名前の字面にも憧れる。