とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

望月

藤原道長の歌で知った望月という言葉、
それが、満月のことであると、はるか昔に習ったなぁ。


他の国の言葉はしらないけれど、
日本語に関して思うこと。
昔の人は、言葉を巧みに操っていたように思う。
言い回しの妙であったり、リズムであったり…。
当て字とかもそう。
遊び心があって、なんかいいねぇと思う。


昨日、上の子がコーパスなんたらという
大学受験用の英単語の本で、勉強していた。
大学受験などまともにする人はいないであろう
自分のクラスに、その本を持ち込んだ
英語の教師が憎い!と言いつつ、苦い顔して覚えている。
似たような意味の単語がいっぱいで嫌になる!
どう違うんだ?!と…。


あ〜、私も受験生の時思ったなぁ。英単語は必死に覚えた。
必死に覚えたけれど、結局使えるようにはならなかった。
言葉なんて言うものは、使わなければ、身につかないんだなぁって、そう思う。
細かい、ニュアンスが違うんだろう。
日本語でも同じような意味の言葉がいっぱいあって、
でも、それを何とか使い分けられているように、
きっと英語も使っている人には使い分けられるのだろう。
じゃあ、覚えるんだったら、その細かいニュアンスの
違いを知っておくべきなんじゃなかろうか…と思う。
しかし、日本語も豊かな言葉として身についていない
私や私の子どもたちが、ほかの国の言葉を
ニュアンスの違いなどを意識して覚えたりできるんだろうか?


というか…この、時間に追われるような毎日で、
日本語もあれこれ略されて、短縮形が氾濫しているというのに、
その細かなニュアンスを意識してしゃべることが、可能か?
なんてことを、絶望的な思いで考えたりする。
ゆっくり考えて話す…そういうことが、自分に出来ているか?


満月と望月という言い方では、どちらが先に使われ始めたのだろう。
どちらもまんまるお月さんのことだが、
道長が「もちづき」という言葉を使ったのはどういう理由か?
どうして「まんげつ」ではなかったのか…
リズム的には、どちらでも良かったはずなのに。
満月という言い方はそう古いものではないのかな?


上の子との車中の会話で
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそを負ふ母も吾を待つらむそ」
っちゅう歌は好きな歌だと、
そういうおとっつぁんがいいよねぇと子どもと意見が一致して、
昔ならった短歌が、いろいろ思い出されて、望月を思い出した。


今更ではあるが、美しく、きちっとした、
こう…エスプリの効いた言葉遣いをしたいものだ。
せっかく本を読むのだから、そういったものも感じながら、
言葉を感じて身に着けたいと思う。