とみいよむよむにっき

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論理的

論理的に物事を考えることは大変難しい。
そもそも「論理的」とは、どういうことか?

前提と、それから導き出される結果との間に
筋道が認められて、納得がいく様子

合理的・統一的に解釈する上で認められる因果関係。

人間は、ある条件からある筋道を立てて考え、
その中から正しい結論を導き出すということができる生き物だ。
しかし、人間みんなが論理的な思考ができるかというと、
そうではないし、論理的解釈ができないことが、
人生には多々あるなぁと思う。

特に、自分が説明できないと思うのは、
人の好み・価値観である。
まぁ、大抵、ある規則性はあるにしても、
人間の好みというのは説明がつかないものの代表的なものだろう。
好き・嫌いというのは、白黒はっきりできないことが多い。
というか、好きや嫌いの理由は、自分でははっきりこうだと思っても、
人に納得してもらうのは難しいことが多いのだ。

そこを掘り下げて考えていくと、
自分が嫌いだった何かが、いつの間にか、なぜ嫌いなのか
解らなくなり、いつしか、好きになっていたなんてことも
無きにしも非ず…。
普遍的な論理性なんていうものを、
望むのは間違いだと思わずにいられない。

と、反日デモのニュースを見てふと考えた。
不安定だなぁと思う。
個人としての人間関係と、何ら変わりない。
こじれたら、とことんこじれていく。
歩み寄るということは、ないのかね。
人間の欲というか、経済的損得ばかりを考えるやりかたでは、
今に戦争になってしまうのでは?と思ってしまう。

日本は戦争をしないと、信じている私だが、
中国で起きているデモが、一部暴動化していて、
それが、酷くなってしまったら、
戦争勃発ってことにならないとは言い切れないのでは?
しかし、暴力に暴力をもってやり返すのは反対だ。
こういう問題に、勝ち負けなんてのはないはずだ。

苛められて、殴られて、それでも殴り返さず静観している。
それが、本当の強さと、私は思う。
そういうのも、価値観の違いで、
そこで殴り返さないなんて、なんて弱い奴!と思う人もいるだろう。
だから、困難なんだよなぁ。

なんにせよ、暴力反対である。
あ、岩波ジュニア新書の『ガンディーの言葉』を、
今こそ、じっくりと読みたい気分だ。
『沈黙』でも感じた人間の強さというものは、
国家間でも同様に考えていいと思うな。